アテになる話6F 未解決事件

アテになる話 › 6F 未解決事件 › #204

小島事件三つ目の冤罪で、名刑事の名前は終わった

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日本と世界の未解決事件を1日1個、酒の肴にする連載。最後に「今どうなってるか」を判定する。【未解決】【時効】【冤罪】【真相不明】、主にこの4つや。

今日も笑ったらあかん回や。静岡の冤罪、三つ目や。飴屋の妻が殺されて、村の農民が捕まった。取り調べたんは、幸浦と二俣と同じ刑事や。


1950年5月、小島村

1950年5月10日の深夜、静岡県庵原郡小島村。今の静岡市清水区や。飴を作っとる家で、その家の妻が殺された。32歳。書くんはここまでや。

6月19日、警察は同じ村の27歳の農民を、窃盗の容疑で逮捕した。別件や。翌20日、この事件の取り調べで自白した。捕まって1日で自白や。1日で自白が取れる取り調べ、いうのがどういうもんかは、二俣の回で書いた。名前は書かん。裁判の記録が匿名で扱うとる人や。

同じ刑事

捜査の主任は、紅林麻雄警部補やった。二俣事件(#202)で少年に死刑判決を出させ、幸浦事件(#203)で「秘密の暴露」を作った、あの刑事や。小島は、その人が捜査主任として逮捕から起訴までの約1か月、取り調べを仕切った事件や。

弁護側は、拷問があった、と主張した。二俣と同じ主張や。二俣では、身内の刑事の告発があって、裁判所が拷問を認めた。小島では、同じ主張が同じ刑事に向けられた。

無期懲役

1952年2月18日、静岡地裁は無期懲役を言い渡した。二俣も幸浦も一審は死刑やったから、小島は「軽い」判決に見える。せやけど無期懲役は、出る日が決まっとらん刑や。27歳の農民が、いつ出られるか分からん刑を受けた。無期懲役には仮釈放がある。せやけど仮釈放は「反省しとる」人間に出る。やっとらんと言い続ける人間には出にくい。無実を言い続けることが、出る日を遠ざける。冤罪の無期懲役は、そういう罠を抱えとる。

1956年9月13日、東京高裁は控訴を退けた。ここまでは、幸浦や二俣と同じ道や。

1958年、最高裁

1958年6月13日、最高裁は判決を破棄して差し戻した。この時期の最高裁は、静岡の三つの事件を続けて差し戻しとる。二俣が1953年、幸浦が1957年、小島が1958年。同じ県警の同じ刑事が作った三つの事件を、最高裁が三つとも突き返した。

1959年12月2日、差し戻し審で東京高裁は無罪を言い渡した。検察は上告せんかった。その月のうちに無罪が確定した。逮捕から9年半。27歳の農民は37歳になっとった。

三つで一つ

ここでこの連載らしい話をする。幸浦、二俣、小島。三つの事件は、それぞれ別の事件や。せやけど三つを並べると、一つの事件に見える。同じ刑事が、同じやり方で、同じ結果を出した。三つとも自白が柱で、三つとも自白が取り調べで作られた、と裁判所が判断した。

紅林麻雄は「名刑事」と呼ばれ、表彰も受けとった、と伝わる。三つの無罪判決で、その評判は終わった。紅林は1963年9月に亡くなった。三つの無罪判決を、全部生きて見た形や。見て何を思うたかは、記録にない。記録にないことは、俺も書かん。せやけど、評判が終わっただけや。三つの事件で殺された人は、一家4人と一家4人と、飴屋の妻。合わせて9人。9人を殺した人間は、三つとも分からんまま時効になった。

名刑事が作った「解決」は、三つとも解決やなかった。ほんで、名刑事が捕まえた人間の代わりに追われるべきやった人間は、三つとも追われんかった。冤罪の一番の被害者は捕まった人やが、二番目の被害者は、殺された人や。真犯人を探してもらえんかった、いう意味で。

ほんで判定やけど

【冤罪】や。

無期懲役は覆り、無罪が確定した。真犯人は分からん。殺人の時効15年は、1965年に過ぎとる。

異説を併記する。「静岡の三つを一人の刑事のせいにするんは単純すぎる。組織の問題や」いう見方はある。そのとおりで、刑事一人で三つの冤罪は作れん。認めた上司も、起訴した検事も、一審で有罪にした裁判官もおる。せやけど三つの真ん中に同じ名前があるんも事実や。俺は組織の話として書き、名前も書く。両方や。

ほな、今日は静かに一杯や。静岡の三つと、9人に。


帰りに寄る棚今日は棚なし。人が死んどる話で物は売らん。

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