日本と世界の未解決事件を1日1個、酒の肴にする連載。最後に「今どうなってるか」を判定する。【未解決】【時効】【冤罪】【真相不明】、主にこの4つや。
世界編の前半、今回はここで一区切りや。締めは、人が死んどるかどうかも分からん話にした。海の上で10人が消えた。骨は一つも見つかっとらん。せやから「死んどる」とも言われへん。150年前の話や。
1872年11月、ニューヨーク
メアリー・セレスト号は、アメリカの帆船や。長さ30メートルほどの二本マストの貨物船で、新品やない。1872年11月、ニューヨークの港でイタリアのジェノヴァ行きの荷を積んだ。工業用のアルコールが1700樽ほど。
乗っとったのは10人。船長と、船長の妻と、2歳の娘。それに乗組員が7人。船長は妻と幼い娘を乗せて航海に出た。家族を大事にする船長がようやることやった。
11月5日に港を出て、悪天候で港の入り口の島の沖に停泊して、7日に外洋へ出た。
12月4日、大西洋のまんなか
1か月後の12月4日。ポルトガルとアゾレス諸島の中間あたりの海で、別のイギリスの帆船デイ・グレイシア号が、変な船を見つけた。帆が一部ゆがんだまま、誰も舵を取っとらん様子でふらふら進んどる。近づいて声をかけても返事がない。乗り込んだ。
誰もおらんかった。
船倉には1メートルほど水が入っとったけど、沈む深さやない。積み荷はほぼそのまま。食い物と水は半年分あった。乗組員の私物も、船長の娘のおもちゃも残っとった。航海日誌の最後の記述は11月25日で、アゾレスの島のそばにおったことになっとる。つまり9日間、誰もおらんまま船は東へ進んどった。
なくなっとったもんは、小さいボート一艇と六分儀・海図・船の書類や。つまり、10人はボートに乗って自分の意思で船を離れた、と見える。それなのに帆船は沈まんで、10人は帰ってこんかった。
ジブラルタルの法廷
デイ・グレイシア号の乗組員は、無人の船を近くのジブラルタルまで運んだ。海の法律では、漂流船を港まで運んだ者には報奨金が出る。その審問がジブラルタルで開かれた。
ここで話がややこしうなる。審問を担当したイギリスの検察側の役人が、この船を疑うた。10人が消えて、見つけた船が報奨金を取る。あまりに都合がええ。乗組員が酔うて船長一家を殺したんやないか。デイ・グレイシア号が最初から仕組んだんやないか。船に「血の跡」がある、と騒いだ。
調べたら、血やなかった。積み荷のアルコールは9樽が空やったけど、樽からの漏れとされる。何一つ、犯罪の証拠は出ん。それでも役人は疑いを捨てず、報奨金は相場より低う抑えられた。船の価値の5分の1ほど、1700ポンドや。裁判所は、犯罪があったとは一度も認定しとらん。
小説が名前を変えた
この事件が世界で有名になったのは、12年後や。1884年、イギリスの若い医者が雑誌に小説を書いた。無人で見つかった船の話で、船の名前を「マリー・セレスト」とした。医者の名前はアーサー・コナン・ドイル。後にシャーロック・ホームズを書く人や。
小説は当たった。小説やのに、事実の記録として読まれた。それで世界中に「マリー・セレスト」いう綴りが広まった。実際の船の名前はメアリー・セレストや。
この連載で何度も書いた型がここにもある。事件の名前を、事件の当事者やない人が決めた。切り裂きジャックは新聞、ブラック・ダリアも新聞、メアリー・セレストは小説家や。名前が有名になった分だけ、10人がどんな人やったかは薄れた。
なんでわからんかったん
物証がないからや。船はある。10人がおらん。ボートも見つからん。海は何も返してこんかった。
説はいくらでもある。積み荷のアルコールが樽から漏れて蒸気になって、爆発の危険を感じた船長が、一時退避のつもりで全員をボートに移した。ほんでロープが切れて、船だけが風で先へ行った。これがいま一番支持のある説や。海底地震で船が揺れて、同じ判断をした、いう説もある。竜巻の説もある。乗組員の反乱・海賊・保険金詐欺。どれも証拠はない。
この船のその後や。事件のあとも売り買いされて、1885年、最後の持ち主がハイチの沖で船をわざと岩に乗り上げて沈めた。保険金目当てで、積み荷を偽っとった。裁判になったけど評決は割れて、船長は釈放され、3か月後に貧しいまま死んだとされる。
ほんで判定やけど
【真相不明】や。
10人が死んだかどうかも、法律の上では決まっとらん。一人も見つかっとらんからな。殺人の証拠はなく、裁判所は一度も犯罪を認定しとらん。事故か、事件か、それ以外か。150年、誰も決められんかった。
異説を併記する。「アルコールの蒸気に驚いて退避した。事故や」いう見方が、今の研究者にはいちばん多い。ただし全員が一致しとるわけやない。「反乱か殺しがあって、証拠だけが海に消えた」いう見方は、ジブラルタルの役人の時代から消えとらん。「デイ・グレイシア号が最初から仕組んだ」いう見方は、証拠ゼロやけど話としては今も語られる。俺はどれにも与しない。
世界編の前半の締めに、この事件を選んだ理由を書く。人が死んだかどうかも分からん事件を、俺は「未解決事件」の一つとして数えてええんか、と考えた。答えは、ええ、や。この連載は犯人を当てる連載やない。分からんことを、分からんまま正確に置く連載や。10人が消えて、船だけ帰ってきた。それだけを、正確に置いた。
ほな、今日は静かに一杯や。次は世界編の後半や。
この回の棚はAmazonと楽天のリンクや。買うてもろたら店にいくらか入る。