アテになる話5F 日本ピンク文化史

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待合と三業地座敷で国の予算が決まっとった

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日本の「大人の文化」を1日1個、酒の肴にする連載。仕組みと歴史の話や。最後に「今どうなっとるか」を判定する。【現役】【消滅】【変身】、主にこの3つや。

今日は比較的、笑ろてええ回や。政治の話が絡むけど、笑う相手はお偉いさんの側や。そこで働いとった女の人らは、また別の話として書く。


「待合」はもともと、茶の湯の控え室やった

まあ座り。駅の待合室、病院の待合室。「待合」いう言葉は今も残っとる。実はこの連載で扱う「待合」も、語源は同じで、人を待つ部屋やった。

もとは茶の湯の言葉や。茶会の客が、亭主の迎えを待つために座る小部屋。これが江戸の中期ごろから、宴席のあいだに芸者を呼んで酒を飲む「待合茶屋」に化けて、さらにそれが料理の出る宴の場そのものを指すようになった。控え室がいつのまにか本館になっとる。名前と中身がずれとる話の、また一発目や。

明治になると、料亭・待合・置屋(おきや)の三つをひっくるめて「三業」と呼ぶようになった。置屋は芸者の所属先、今でいう芸能事務所みたいなもんや。この三業が集まる地域が「三業地」、別名・花街や。

検番いう組合が、花街を動かしとった

花街の心臓は「検番(けんばん)」や。三業の業者が集まって作った組合の事務所で、芸者の登録・宴席への派遣・稽古場の運営・揉め事の処理まで全部やった。芸者はどこかの置屋に所属して、検番を通して仕事を回してもらう。勝手に商売はできん。

ここで大事な線引きがある。芸者と遊女は、免許が別の、別の職業やった。建前として芸者は「芸」を売る人で、売春はせん。帯の結び方まで区別があったと言われる。芸者は後ろで結び、遊女は前で結ぶ。検番がこの線引きを管理しとった。

建前や、と書いた。実際には花街の中にも境界は曖昧で、時代と地域で中身は揺れた。せやけど「芸を売る」いう看板を守った地域が、あとで生き残ることになる。この看板が命綱やった、という話は判定のところでする。

それと、これは笑えへん部分やけど書いとく。芸者の側にも、置屋に預けられる形での年季奉公と前借金の束縛があった。1872年の芸娼妓解放令が、娼妓だけやのうて芸妓も対象に含めとったのは、その実態を政府も認めとった証拠や。三業地は「遊廓よりましな場所」ではあったけれど、無縁ではなかった。

待合で政治が動いた

明治の東京で、三業地の筆頭は新橋やった。理由は簡単で、官庁街に近かったからや。総理大臣や大臣の御用達になった。

有名な話を並べる。桂太郎の愛人お鯉も、西園寺公望の伴侶も、新橋の芸者やった。初代総理の伊藤博文の妻・梅子も芸者の出や(こっちは下関やけどな)。山縣有朋の相手は日本橋。明治の元勲の妻や愛人に、花街の女が何人もおった。殿様の側室ならぬ、元勲の伴侶の供給地やったわけや。

そして「待合政治」いう言葉が生まれた。コトバンクの百科事典をそのまま縮めると、「待合や高級料亭で酒色を介して談合し、重要な政治的決定を実質的に行う政治慣行」や。議場で議論して決める前に、待合の座敷で決まっとった。密室政治いう言葉は今もあるけど、そのルーツの一つがここにある。

俺の会社でも「本番は宴席」いう営業の理屈はある。せやけど国の予算が宴席で決まるのは、さすがにスケールが違う。

ほんで判定やけど

【変身】や。

1958年の売春防止法で遊廓は消えた。けれど三業地は消えへんかった。芸者は売春の外の免許やったからや。京都の祇園、東京の新橋や浅草、大阪の北新地は今も花街として残っとる。料亭は高級飲食店に、検番は組合事務所として今も機能しとるところがある。待合政治はやがて「料亭政治」と名前を変えて、戦後も長く続いた。

異説も置いとく。「花街は名残でしかない」いう見方や。芸者の数は戦前から激減して、残っとるのは観光と伝統の保存や。三業地が政治を動かす力は、もうとっくに失われた。

その通りやと思う。それでも、消えたのに形を変えて残ったいうこの連載の【変身】の定義には、ぴったりはまる。

ほな、今日は料亭の値段を見て怯んでから飲も。待合は俺らの給料では縁がない。


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