日本の「大人の文化」を1日1個、酒の肴にする連載。仕組みと歴史の話や。最後に「今どうなっとるか」を判定する。【現役】【消滅】【変身】、主にこの3つや。
今日はAV元年。1981年、日本で最初のアダルトビデオが発売された。家庭用ビデオデッキの普及と軌を一にして、大人の映像の主戦場は劇場から家庭に移った。以後40年以上、このジャンルは技術の先端に居続ける。元の話や。
最初の2本は、ピンク映画の直撮りやった
まあ座り。1981年、日本ビデオ映像という会社が2本の作品を出した。『ビニ本の女・秘奥覗き』と『OLワレメ白書・熟した秘園』。これが日本のアダルトビデオの第一号とされる。中身は、当時のピンク映画のような題材をプロ用のビデオカメラで直接撮ったもんや。フィルムを通さん分、安くて早い。当時としては画質も良かった。これが爆発的に売れた。
タイトルをもう一度見てほしい。『ビニ本の女』や。#57のビニ本ブームへの便乗が丸分かりや。新しい媒体の最初の客は、前の媒体の人気商品から引っ張る。これもこのジャンルの定石や。
この頃の呼び名は、まだ「AV」やない。「ポルノビデオ」やった。家のビデオデッキの普及率は10パーセントそこそこの時代や。それでも売れた。見たいもんがあるところに、技術は一番早く届く。この法則はこのジャンルの歴史全部に効いとる。
劇場が負けた理由は「家」やった
それまで大人の映像は劇場のもんやった。#49のピンク映画、#53のロマンポルノ。どっちも劇場に足を運ぶ商品や。ところがビデオは家で見られる。誰にも見られん。一時停止もできる。巻き戻しもできる。劇場の暗がりの恥ずかしさが、全部要らんようになった。
当時のデッキは20万円を超える高級家電やった。その高い機械を動かすソフトとして、AVは頼りにされた。家電とソフトはセットで育つ。次回の『洗濯屋ケンちゃん』の話は、その構図の極端な形や。
ビデオの技術は進化した。翌1982年には代々木忠の『ドキュメント・ザ・オナニー』シリーズが出て、8万本を売った作品もあったという。1987年ごろにはレンタルビデオ店が街に増えて、AVはその棚の一角を占めるようになった。劇場の産業は斜陽に入る。ロマンポルノが1988年に終わったのも、この流れの帰結や。#46のブルーフィルムがビデオに殺されたのと同じ手口で、今度は劇場が殺された。
8万本を売ったシリーズ
翌1982年の話をもう少し掘る。代々木忠の『ドキュメント・ザ・オナニー』シリーズが出て、8万本を売った作品もあったという。8万本や。ビデオデッキの普及率がまだ低い時代に、この本数は事件やった。
代々木という監督の手法が新しかった。演技をやめて、本人を撮る。演出された大人の映像ではなく、ドキュメントとして撮る。のちにこの人はドキュメントAVの元祖と呼ばれるようになる(#94)。その出発点が、AV元年の翌年やった。
「本物っぽさ」が売れることを、この業界はここで学んだ。以後40年、演出か本物かの綱引きは続く。デッキが配信に変わっても、需要の芯は同じところを指しとる。売れる法則は技術と一緒に生まれた。元年の翌年にはもう、業界の型ができとったわけや。
ほんで判定やけど
【現役】や。
形は変わり続けとる。VHSがDVDになり、DVDが配信になった。レンタル店は消えても、ジャンルは消えん。むしろ技術が変わるたびに、真っ先に新しい売り方を試すのがこの業界や。
AV元年の教訓はひとつや。「見る場所が変われば、産業が変わる」。劇場から家庭へ、家庭からネットへ。この連載で見てきたメディアの盛衰は、ほとんど全部この一文で説明がつく。次回の裏ビデオも、同じビデオという技術の裏側の話や。
配信の時代になっても同じや。劇場が負けてレンタル店が負けて、今はネットが担っとる。#67のFANZAの話でまた出る。40年あまり主戦場は動き続けた。それでもジャンルは消えへん。場所が変わっても需要は据え置きや。このジャンルの体力の正体は、そこや。
ほな今日はテレビの後ろの配線でも眺めてから飲も。技術はいつも、下品なところから一般に降りてくる。
この回の棚はAmazonと楽天のリンクや。買うてもろたら店にいくらか入る。